2015年4月10日金曜日

コラム追加 『トロッコ問題への反応をめぐって』

完全個別指導塾 Inlight.edu のホームページに、新しいコラムを追加しました。

今回は、

『トロッコ問題への反応をめぐって --答えが出ないのになぜ考えるのか--』

というタイトルです。

「カルネアデスの板」といえば、耳にしたこともあるでしょうか。


人間の意思を決定するプロセスは、かなり複雑なものです。
人はあらゆる場面で、何かしらの判断を下して生活しています。
たまに訪れる、”後戻りの出来ない重大な決断” を前にした時に、その人は一体どういう経緯で、そのような最終的な決断をするに至ったのでしょうか。


  • いろいろ考えた結果、結局「運を天に任せる」と ”決定する”。
  • 一度は決定し、覚悟を決めたつもりが、土壇場になって、慌てふためいて我を忘れてしまった。
  • 過去の自分の経験を信じ、たとえ失敗したとしても、後悔しないと腹をくくり、ある選択をした。
  • あらゆる要素を検証し、体系的に考え、数学的に、求める目的に到達できる確率が最も高いものを選んだ。
  • 最も信頼を寄せる人のアドバイスに従うことに "決めた"。


など、様々なプロセスがあます。

一方で、もう後戻りができなくなる、その瞬間までは、まだ決定を”変更できる” 余地も持っています。


この意思決定のプロセスは、学習と大きく関わっています。
例えば、普段の学校の課題に取り組むとき、定期テストを受けるとき、受験本番のとき、ある生徒はその都度、最終的に ”決定された” 解答を提出します。

当然、彼がどんな状況なのか、そのテストの重要度や結果によって、現実的に彼にどんな影響があるのか、ということが、そのプロセスの質に関係しています。

以前解いたことのある問題またはその類似問題の中で、自分が解くことのできるギリギリのレベルの問題がテストで出題されたときに、どのような解答を最終的に提出するでしょうか? 前回よりも点数を上げるためには、そのような問題を正解する必要があります。そのために、勉強し、塾に通っているのです。
しかし、実際はどうでしょうか。制限時間の中で試行錯誤したのにもかかわらず、最後には混乱し、よくワカラナイまま、何となく導き出した答えを解答用紙に書いたり、適当に答えを選んだりすることも、少なくありません。

これが定期テストや小テスト程度の試験だからいいのでしょうか。
ではそれが、そのたった1問で、今後の数年や将来に大きな影響がある大学受験本番だった場合はどうでしょうか。

その実感や危機感を持てずに普段のテストの感覚で受験本番に望んでいる生徒も少なくありません。


これと、反対のことが、「結果論」と言われるものです。
こんなにも複雑な意思を決定するプロセスを無視して、出た結果だけがすべててを語る、と言ってしまうこともできます。

受験生においては、結果だけをみればそのプロセスなどどうでもよくなり、その年の問題傾向や倍率、志願者の層やその日の体調など、不確定要素が多くあるので、何が良かったことで、何が悪かったのかは、後になってはもう誰も知ることはできません。

しかし、結果しか見ない人は、その人を本当に理解しようとしているでしょうか?


以上のことをまとめると、次のようになります。


  1. 重要度が低いテストの場合、その結果が良くても悪くても、プロセスの質は軽視される。
  2. 大学受験など結果が現実に及ぼす影響が強いものは、良い結果が出ればそのプロセスは軽視され(結果論)、悪い結果が出ればそのプロセスは否定される(方法論)。
  3. 不確定要素は多いけれども、理想はプロセスの質を上げることで、結果を最大限にコントロールできるようにすること。


確かに、結果は、事実です。でもそれがどれほどの意味をもつのでしょうか。

本人にしか知り得ない重要なことは、いつでも語られる機会を持ちません。

それでも、充分に備えることもできるし、はっきりとした意志を持って、自分の実力をいかんなく発揮できる生徒もいるでしょう。

「何が重要で、何が無駄か」
「そんなことは受験には直接関係ない」
「理解よりも、点数を取ることが重要」

こういった考えでも、志望校に受かるかもしれません。

同じ確率で落ちるかもしれません。

さて、今、あなたに出来ることは、何でしょうか。

それを考えることは、常に重要です。

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